文学

強意の助詞「をば」

 「をば」という助詞を古典文学でみることは少ない。だけども、近世文学まで視点を進めると何故か雅文体ではよく使われる。

小説の美術たる由を明らめまくせば、まづ美術の何たるをば知らざる可らず。

 坪内逍遙「小説神髄」

 特に坪内逍遙はその著者を覗けば散見できる。流行だったのか?

著者公式解説書「高瀬舟縁起」

image


 先程、高瀬舟の感想について記事を書いたがこの高瀬舟には森鴎外公式解説書の高瀬舟縁起がある。分量的には後書き程度のものだが、明治文学で後書きなんてみないからそれでも著者の意見が知れるってのは割りと貴重な気がする。それに、本編も文章量を今と比較してしまうとショートショートとか呼ばなくちゃならない。

 この話は江戸時代の京都から護送される罪人と同心の心情について書かれる。その時代は寛政だそうだ。元白河藩主、松平公ご活躍の時代だ。
 また、高瀬舟の渡る高瀬川は角倉了以が掘ったものだと高瀬舟縁起で触れられる。角倉了以は日本史用語の中では必修だ。小学生の頃は夏目漱石は好きだったが、森鴎外の本は分け解らないとか思っていたが、時代背景について知れば多少なりとも面白いものだ。浪漫主義の大意は未だ掴めなくとも。

 そもそも、この高瀬舟は翁草という江戸時代の書物のオマージュと言うか、寧ろ内容はそのまま近いようだ。芥川龍之介なんかもそんだけど、当時は著作権なんかないし。

 元がある文章だからこそ、ただそのままではなくそれなりに書き起こした時代に求める意志を込めて再び物語りを読みがえる。小学生の時の塾講師が舞姫は森鴎外が金髪白人の美人と恋愛する妄想だとか何とか言っていたから僕の心の奥に何となく先入観があるのだが、実際には彼は変わり往く時代の中で在来的でありながらも1人の観察者として功をなした人だ。

一つは財産というものの観念である。銭を待ったことのない人の銭を持った喜びは、銭の多少には関せない。人の欲には限りがないから、銭を持ってみると、いくらあればよいという限界は見いだされないのである。二百文を財産として喜んだのがおもしろい。


 森鴎外が翁草で面白いと言う二つ。一つは人の欲についてだ。当時いた坪内逍遙等の写実的な文筆家と違い、抽象性のある浪漫派である森鴎外らしい欲の表し方だ。人の欲は一辺倒ではなく、それは銭の多少では表せない。


 また、安楽死についても触れている。これが二つ目だ。

早く死なせてやりたいという情は必ず起こる。ここに麻酔薬を与えてよいか悪いかという疑いが生ずるのである。その薬は致死量でないにしても、薬を与えれば、多少死期を早くするかもしれない。それゆえやらずにおいて苦しませていなくてはならない。従来の道徳は苦しませておけと命じている。しかし医学社会には、これを非とする論がある

 軍医らしい率直な意見だ。今では安楽死に加えて脳死など生命倫理に苦しむのは人の性だが、当時も難しい問題だっただろう。

 近年は日英同盟や対華二十一ヶ条要求など歴史的背景の揶揄を重視した見方や評価が注目されているという。森鴎外がどのような意味を込めていたにせよ、ぼんやりと浮かぶ人の生き死を描く高瀬舟からは学ぶことが大きい
 
 

生命倫理最大の命題安楽死を書いた文学 「高瀬舟」

image


高瀬舟

 高瀬舟は京都の高瀬川を上下する舟である。



 高瀬舟は浪漫主義の日本の文豪森鴎外によって書かれた明治文学である。森鴎外と言えば、「舞姫」なんかが有名であるが、高瀬舟は安楽死、つまりは生命とは何か?と論じる深くて捉え安いが解りがたい題材を抱える。


 Wikipediaには二十一ヶ条要求への批判だとかあるが、そう言えば森鴎外は陸軍省に入り軍医をしていたそうだし、軍部の方向性にも疑問を感じたりしてたのだろうか?
 森鴎外を思い出したのは今朝方、大和煮について調べてたら大和煮は軍のレーションにも採用されてるとか出てきてcheckwikiに飛んで日本軍伸食事についてとか読んでたら森鴎外が白米至上主義な話も乗ってて、それについては知ってはいたが興味が湧いた。
 森鴎外が白米至上主義者だとかは高校の日本史で習ったのだが、その時聞いたのは森鴎外が日本人は白米だといい、白米を主食にと主張したせいで日露戦争の旅順攻略にて大損害を出したとか。絶対そのせいだけではないと思うけど、白米主食がいけないのはビタミンB1が精米過程で取り除かれるからだ。ビタミンB1、別名アリナミンは現在では健常者にはスマートドラッグ的にも栄養補助的にもサプリメントを飲む必要はない。だが、栄養が欠如していた当時に森鴎外はビタミンB1不足によって起こる脚気を細菌説を主張し、曲げなかったという。そのせいで何人しんだことか。


 そんな森鴎外だが、東大医学部を確か19歳と最年少で卒業している。そして軍医としてドイツ留学、医学よりドイツの思想や文学に傾倒したと国語便覧に書いてたと思う。まあ、凄い人だ。そんな森鴎外の死生観が現れてる作品かどうかは、江戸の古文に原作があるらしいので言えないかも知れないが森の高瀬舟は川に浮かび流罪人を乗せて静かに進む、短編ではあるが、場面が浮かび引き込まれる話だ。


 喜助が鳥目二百文を受け取ったことを喜んでいる場面がある、ここが一番印象的だった。


前略。この二百文はわたくしが使わずに持っていることができます。お足を自分の物にして持っているということは、わたくしにとっては、これが始めでございます。島へ行ってみますまでは、どんな仕事ができるかわかりませんが、わたくしはこの二百文を島でする仕事の本手にしようと楽しんでおります。

 昔、オーヘンリーの短編に刑務所に入りたくて悪いことをしようとするがそれが良い事になってしまうという話があった。趣旨は違うのだが、そのホームレスの青年は刑務所なら温かいご飯が貰え、ニューヨークの寒い冬を越せると考えての行動だ。この喜助も同じで時代と場所は違うが、苦しい生活を殺人により脱することができた。しかも、その事は思いも寄らぬ良いことだとして、今までより刑務所暮らしやその後の流罪が彼に取っては罪には値していないようだ。


 また、同心の羽田庄衛兵がそんな喜助の不思議な様子に耐えかねて罪の理由を聞いてしまう。その答えも弟の介抱であった。貧しい中喜助と二人で暮らして病で動けなくなったが、気を止み自殺を図るが死にきれない。そんな弟の切実な頼みが殺してくれと言うことだった。
 これを殺人と呼べるのだろうかとは庄兵衛の弁だが、答えはでない。
 おぼろ月夜の中、高瀬舟は進んでいく。ぼんやりとした薄暗い空間を滑るように進む一隻の舟。水面下との曖昧な境界線が沈黙を助長する。舟は何処へ向かうのだろうか。当然、流刑地だ。人を裁けるのは人ではなく法だと言うのはリーガルハイの古御門の台詞だけど、これは強ちの間違いでもない。
 現代にしろ喜助は罪人だ。少なくとも法は時代やその世俗が決定し、独裁体制が法であった時もあれば、近世以後は民主的な法が大半を占める。それは人類が長い歴史の中で身を持って蓄積してきた経験の形であるのだが、やはり民主主義にしろ、功利主義が基になってる以上は裁けないことのが多い。日本が長らく単一民族の気風によって構築した伝統は叙情的で儚く、死や情や愛、言葉で語れない事が大好きだ。森鴎外の浪漫主義自体もそうだが。でも須く決して明文化され、認められうる倫理には成り得ない。そうしたものは高瀬舟の上にある。流れゆく舟の向かう先には決まっているのだ。

〈PR〉

マクロミルへ登録

「堺雅人 文」なかなか読ませる文章なエッセイ

image


image


image



 先ほど、Amazon.co.jpで注文した「堺雅人 文」が届いた。まだ、読んでないが、確実に期待の1冊である。ちょっと紹介したい。レビューは読み終えてから書くけど。

無料お試し

  電子書籍で最初の方を読めるとこがあったからURL貼っておく。

http://www.bunshun.co.jp/tachiyomi/201307/t9784167838713.htm

 これは前書きに変えてみたいな感じの部分なのだが、そこですら面白く惹かれる内容だ。ここを読んでから続きを読みたいか決めるのが良いと思う。
 残念なことにAmazon.co.jpのKindleでは販売してなかった。なので、今回は紙書籍を購入した。エッセイは普段好き好んで読まないがこれは読んで見たくなったし、手元に直に置いておく価値がある気もする。






 
QRコード
QRコード
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

 
ギャラリー
  • 三田製麺所 梅田店
  • 三田製麺所 梅田店
  • 五朗エ門 つけ麺
  • 菱竹 トライ
  • Btooom20巻
  • Btooom20巻
  • Btooom20巻
  • Btooom20巻
  • Btooom20巻